カジノ ルーレット 赤黒

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 これで北向する街道(現・国道D1001号線)をアミアンに向け逃走に転じた仏護国軍部隊は、ブルタイユ市街を東へ迂回し全速力で北上したS近衛ライター騎兵連隊第1中隊による側面襲撃を受けて潰走し、逃げ遅れた約30名は捕虜となったのです

 この「ブルタイユの戦闘」で仏軍側は約70名を失い、独軍側の損害は負傷者わずか6名でした

※10月12日「ブルタイユの戦闘」における独軍部隊戦闘序列◇フンケ支隊(S近衛ライター騎兵連隊長代理フォン・フンケ少佐指揮) ○普近衛歩兵第2連隊・第3,4中隊 ○S近衛ライター騎兵連隊 ○S騎砲兵・第2中隊の2個小隊(4門)◇ピルサッハ支隊(騎兵第24「S第2」旅団長ゼンフ・フォン・ピルザッハ少将指揮) ○普近衛歩兵第2連隊・第2大隊 ○槍騎兵第18「S第2」連隊 ○Sライター騎兵第3連隊・第5中隊 ○S騎砲兵第1中隊 10月17日には再びクレルモンからフンケ少佐が支隊*を率いて出撃し、今度はモンディディエを襲います

 こちらの仏護国軍部隊は先のブルタイユの部隊より戦意が乏しかったのか、フンケ少佐が砲兵に命じて発した数発の榴弾だけで街から逃走し、これも同様に追撃を行ったS近衛ライター騎兵連隊第2中隊により約180名が捕虜となっています

※10月17日・モンディディエにおけるフンケ支隊戦闘序列 ○普近衛歩兵第2連隊・第3中隊 ○S近衛ライター騎兵連隊・第2,3,5中隊 ○S騎砲兵・第2中隊の2個小隊(4門) 一方、エプト川下流域では、ジゾーとマニー(=アン=ヴクサン)に駐屯する普近衛騎兵第2「槍騎兵」旅団が、セーヌ河畔のマント=ラ=ジョリー(セーヌ河畔

マニーの南南西19キロ)に前哨を置く普騎兵第5師団と連絡を付け、ルーアン方面を警戒していました

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 このルーアン方面への偵察行は度々試みられていましたが、10月中旬に西方偵察の強化を命じられた旅団長のヴィルヘルム・アルブレヒト親王は斥侯隊をエクイ(ジゾーの西25キロ)からガニー(セーヌ河畔

マニーの南西15キロ)へ送り、この隊は同地で仏武装集団と接触して少時銃撃戦となりました

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義勇兵を中心とする仏軍は西側アンデル川(ルーアン北西方セルキュー付近を水源にリヨンの森を経てセーヌに注ぐ支流)方面と南東のベルノン(セーヌ河畔エプト河口

マニーの西南西23キロ)方向の森林地帯へ逃走し、普槍騎兵斥侯隊はこれを追いましたが、それぞれの方向には仏軍のまとまった集団がおり、追撃を断念しました

 10月19日になると、ジゾーから発した別の斥侯隊がエトレパニー(ジゾーの西北西12.3キロ)で銃撃を受け、報告を受けたヴィルヘルム・アルブレヒト親王は「西方の仏軍を掃討する」として翌20日、歩兵や砲兵を含めた「エプト方面支隊」のほぼ全力を率いて出撃します

 エトレパニー前面のラ・ブロッシュの農場(エトレパニーの東北東2.3キロ

現存します)とラ・エロヌリーの農場(ラ・ブロッシュの北1.6キロ

現存します)周辺の林には仏軍の前哨がいましたが、普軍によりたちまち駆逐され、勢いに押された仏軍はエトレパニーからも撤退しました

 この仏軍は北西方向へ後退し、ノジョン=ル=セック(現・ノジョン=アン=ヴェキシン